こんばんわ
店長の片桐です。
今日はタイトル通りE-YAZAWAについて書いていきます。
ご存知の通りレジェンドです。
私がファンになったきっかけは色々あるのですが
やはりこれ
そう、【成り上がり】です。
矢沢永吉さんの自叙伝になります。
ファンの間では教科書的存在ですね
10代の頃先輩から読めと貸していただき
活字を読むのに苦労した記憶があります。
今や【矢沢永吉に学ぶ成り上がりマーケティング】等
ビジネス本としても評価が高いみたいですね。
詳細は割愛いたしますが、シンデレラストーリーならぬ
シンデレラボーイの内容です。
夢を掴むための書籍といっても過言では無く
今では様々な企業でも新入社員さんに【成り上がり】を配布するそうです。
私自身も迷いが生じた時は自然と読み返し「やっぱそやな~」とか
「いや、これでええんや!」とか勇気を貰ってます。
実は1978年初版で私と同い年なんですね。
なんで読んだだけでファンになったかと言うと
矢沢さんって今こそレジェンド的な扱いで
ポルシェやクルーザーなど多数の車、船舶、別荘等お持ちですが
元々は私達と一緒でなんの取り柄もない人だったからです。
もっと詳しく言うと極貧の少年時代を送っておられ
生活保護を受けていたおばあちゃんに育てて頂いたそうです
後々メディア等でもお話しされてましたが
小学生時代、学校で月に1回先生が教室で給食費を子供達から集めるそうです
でも矢沢さんは保護受給のご家庭だったので給食費はタダ、
教科書代もタダだったそうで、矢沢少年は【なんで?なんでタダ?】
その時、お金が無い事の屈辱を知ったそうで凄く悔しかった、
絶対忘れないって後々語ってらっしゃいます。
その後少年は音楽と出逢い、上京して【成功】を夢みて
色々な障害、困難に立ち向かっていき成功されてます。
実は私も似た家庭環境で、両親は幼い頃に離婚、
母親が親権でしたが、私が小学校時に当時お付き合いをされていた
男性と一緒にどこかへ行ってしまい、私もおばあちゃんに育ててもらい
そのおばあちゃんも中学1年生の終わりに亡くなってしまい
その後は本当に極貧の少年時代を送っておりました。
ただ矢沢さんと違うのは私はその人生を家庭環境や両親の責任にし
ハングリーで立ち向かう事もせず、また夢を見つけることなく、
ただただその日暮らしをしているだけだったと記憶してます。
16歳で社会に出た時もそのような考えだったかもしれません。
その時に【成り上がり】と出逢い、自分を大きく成長させていただきました。
それからはすっかり矢沢さんに影響されております(笑)
今日はこのへんで
最後に
最初、サンザンな目にあう。
二度目、オトシマエをつける。
三度目、余裕。
こういうふうにビッグになっていくしかない。
それには、サンザンな目にあった時、落ちこんじゃだめだ。
by矢沢永吉
東京で決済があり、偶然にも武道館ファイナルと重なって
急遽チケットを手配したとき。